それはもうイタズラ大好きな子どもでした。好奇心は旺盛だったと思います。
団地住まいで、イタズラすると笑ったり叱ったりしてくれる大人がいっぱいいました。
昔ですから、今より人と人が近かったです。だから子どものころはのびのびしていました。
外国人の方がたくさんいる地域で、それも良かったです。(今持って語学力はゼロでしが)
心療内科デビューをしました。
焦燥感とか不安感が強くて、眠れなくなりました。
原因は、高校1年で出会ってしまった問題児になると思います。
まぁ、嫌がらせされたんです、平たく言うと。
車で送迎してもらってたのですが、学校が近づくと泣く。だから母親は道をそれて、鎌倉によく連れていってくれました。初めて母と学校をサボった日、北鎌倉駅前の喫茶店で飲んだロイヤルミルクティは温かくて甘くてすごく安心したのを覚えてます。その頃から、何かを出来ない人に、根性論とか押し付けるより寄り添うことが大事だな、って思うようになりました。
悪ガキでした。鬱々とした高校時代。行きたい大学もありましたが、とにかく女の子が多い環境が嫌で、IT系の専門学校に進学しました。普通のコースではなくて、研究科に進むことが入学時から決まってる人だけが入れるクラスにいました。8人クラスの紅一点でした。
特にチヤホヤされることもなく(笑)、普通に男の子と元気いっぱいに過ごしてました。
ワックス塗りたての床をキックボードで走ったり、学校中のポスターを裏返したり・・・。
イタズラばっかりでした。でもちゃんと勉強もしてたので、資格も取りました。就職もしました。
専門学校を卒業して、ITのベンチャー企業に就職。それはそれは最悪な環境でした。
私は技術部で、またも紅一点。でも女性が多い部署のお姉様たちに嫌われてしまいました。
今思うと私も良くない部分はたくさんあったと思います。でもいい年した女性がよってたかって
新人の女の子をいじめるのは、人としてどうなんでしょうね・・・。
教育係をしてた男性社員にナチュラルなセクハラもされてココロは擦り切れていきます。
飲み会が多い会社でしたが、お酒が入ると自傷してしまう日々。すぐに休職→退職。
心療内科では手に負えず、大学病院の精神科に転院しました。
通院だけじゃなく、入院も経験。
もうこのまま私の人生、消化試合だな・・・と思ってました。
そんな日々の中で、今の主人に出会いました。
今まで知ってる、どんな男性より優しい。
病気もなにもかも、ありのままで受け入れてくれる主人と付き合っていくうちに
生きる希望が湧いてきました。交際5年で結婚しました。
は!!!!長いですね・・・。
一旦切ります。